くのや歳時記 「風呂敷考」
銀座で70年以上商いに携わり和装と銀座の街をこよなく愛した、くのや7代目当主 菊地泰司が『銀座百点』で1979年から1年間連載した「くのや歳時記」を掲載いたします。季節毎の日本の習慣や当時の銀座の点景を切り取ったエッセイです。
「風呂敷考」
世の中には、名称と内容がまったく一致しない言葉が平気で使われていることがままあるが、改まってその意味をただされると、返答に困るときにしばしば出会う。風呂敷もその一つだ。
現在は物を包み、運ぶことに使われている風呂敷に、風呂場で使われる敷物、すなわち湯風呂敷と同じ文字が使われていることに気づかれる方も多いと思う。
昔、わが国の風呂は現在のように場舟があるものでなく、蒸風呂といってもよいものであった。古くは一般の家庭に浴室を作ることは許されず、寺院に限られていた。したがって各々の寺院の掟によって入浴作法が決められていたわけで、身体自体が他人と触れ合うことは賤しめられ、必ず湯帷子(現在の浴衣)を着用して入浴した。それが次第に簡素化され、のちに男性は湯褌、女性は湯文字を着けるようになった。したがって風呂敷の役目は、入浴前には手拭、浴衣、湯文字、湯褌その他の必要品を包んで行くことであり、入浴のときにはこれを敷いて脱衣し、他人のものと間違えぬようにし、これに包んで置いたわけである。
また帰途は、濡れたものを包んで帰った。 その際一見して他人のものと区別しやすいように、家紋とか屋号とかの類を染め抜いたと思われる。現在でも本絹の大風呂敷などに大きく家紋が入っていたり、柄と対角線の位置の角にまゆ型を白く染め抜き、名前を入れたりしているのは、その名残ではないかとも考えられる。
しかし、風呂敷の起源は、「平包(ひらづつみ)」という名で運搬用具として用いられるものだという説もある。古くからの絵草子などによく見られるように、この平包も内容の大小を問わず比較的自由に包装できる機能を有していた。
風呂敷が方形の布帛であるということから特殊な用途として、東北地方では風呂敷ポッチ、江戸では御高祖頭巾などと呼ばれてかぶりものとして親しまれたこともある。早風呂敷といって着物の両裾を袖に通して荷物を包み、緊急の場合の風呂敷代わりに運搬具としたアイデアに溢れた当時の呼び名も残っている。
日本で鞄(革で包むという字のとおりだが)という字を付けたある銀座の老舗のご主人曰く、「いかなる鞄といえども風呂敷に優るものはない」と。その機能の万能ぶりを高く評価された話は未だ忘れられない。
三年ほど前「徹子の部屋」に出演の際、「お宅で買った風呂敷で創ったんですヨ」といわれた、色違いのあばれのしの二枚の風呂敷でできた彼女のブラウスが未だに新鮮に目に浮んでくる。時代に応じ新しい使い方が生まれてくるものだ。
出典 : 銀座くのや七代目 菊地 泰司 「銀座百点」