くのや歳時記 「白の組紐」
銀座で70年以上商いに携わり和装と銀座の街をこよなく愛した、くのや7代目当主 菊地泰司が『銀座百点』で1979年から1年間連載した「くのや歳時記」を掲載いたします。季節毎の日本の習慣や当時の銀座の点景を切り取ったエッセイです。
「白の組紐」
“白の帯締め”が静かなブームを呼んでいるようだ。
しかも帯締めとしては相当高価の品が売れた。羽二重に綿を入れて作った、いわゆる”丸ぐけの紐”に始まった慶事用の帯締めが、古式や習慣が余り重要視されなくなった昨今、組紐に変わって来ている。
私が学校を終えてからだからそろそろ二十四、五年にもなろうか、当時、白の帯締めは、江戸褄など慶事の折にしか使われなかったが、何とかおしゃれ着に締めていただくことはできないものかといろいろと考えた。
“白”―それはとにかく贅沢なものであることに間違いはないはずだ。が、しかしそれ故に何にも勝る品格がある。
それを普段に使おうとしたのだから難しいことがおきた。
着物でも、付下げ、色留めの類は、間違いなく”白”が似合うのは誰でも想像に難くないが、しゃれた紬の着物にぴったり決まるときがあったのは意外である。
とくに正月やパーティーの折などには、たいそう引き締まった感じがする。
“丸ぐけ”に始まったせいか、当初は組紐でも、丸打のものが抵抗がなく締めていただけた。
丸打だけでは変化がつけられないので、そのバリエーションとして、平打で作ってみた。すると、いろいろな組み方で、また、太いもの細いものあるいは、硬いもの、柔らかいもの等々、次々と新しいものが生まれて来た。
さらに真白なものだけではなく、金糸、銀糸を少しずつあしらってみたところ、白一色よりもかえって、柔らかく、身近な感じが出て来た。当時、白は丸ぐけか、丸打の紐が定説だったときなので、桐箱の重に一杯の白の組紐を取り揃えたときは、たいそう得意になった記憶がある。
四季の節として、節分がある。
銀座通りで豆まきをするお店をほとんど見かけなくなったこのごろだが、わが店では、相変わらずのしきたりとして、社員の中の年男が銀座通りめがけて大声を出して、豆をまき、道往く方々に大変ご迷惑をおかけしている。
銀座での豆まきは大変難しい。
“福は内”はいいのだが、鬼は外”の段になると、道往く方々が多い銀座通りは、外に向かって景気良く豆をまくわけにはゆかない。人通りの途切れたところを見計らい、今だ!とばかり大声を張り上げて、”鬼は外”とやる。
新入社員のうちは、その声が出ないで何とも恥ずかしい思いをしたものだ。
平屋から、ビルになった今年は、はて、どうやってまこうかと思案にくれている。
厄を払う意味での小物もいろいろある。
うろこ柄を織り込んだ伊達〆、うろこ柄を染め抜いた帯揚げ、七色を組み込んだ帯締め等々、がそれである。
少なくなったとはいえ、この一年、厄から逃れ、健やかに、幸せに過ごせるようにという願いを込めた女性らしい心くばりがある和服の世界でもある。
出典 : 銀座くのや七代目 菊地 泰司 「銀座百点」